- 2008/02/27(水) 23:49:01|
- いいもの紹介|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0
タイのイサーン地方の「母の織る愛情の布」という詩を見つけました。
バイワリン・カーオガームの詩(月刊誌「芸術文化」1989年8月号に発表)
岩城 雄次郎氏 訳 をある方が修正したものです。
是非皆様にも見て頂いたく掲載させて頂きました。
とってもすばらしい詩だと思いますし、イサ−ン地方の機織りの特徴
が良く出ていると思います。
カーオガームは 1961年タイ東北ローイエット県生まれで母親の献身
的な愛や自然の恩恵を優しくうたうと同時に、社会の歪みや 不公正にも
鋭い告発の目を向けるタイで注目されている詩人の由。
母の織る愛情の布
母は桑を植え せっせとマユを育てる
愛情をこめて てきぱきと働く姿には 希望がある
清らかな手で どんどん絹糸をたぐり出し
時間をかけて 美しくつややかにそれを繰る
心のこもったその手で たんたんと紡ぎ出す絹の糸を
その一本ずつが 布になる
機(ハタ)を踏む足にこそ魂が 杼(ひ)を掴む手の動きにこそ
生命が宿る
母が織ってくれたばかりの布 家族の愛を結ぶ絹糸の
目にもまばゆい美しさ 心をつなぐ絹糸を 母は作り出す
母の捧げる絹を母が織り子に伝える 子は母からの布を身に纏う
その絹を作り給いし 母は偉い人 どの布にも 生命があり
心と魂が宿る なんとも美しく 織り上げられている
絹を織る ほそ腕の母の手はかつてはよく その手で子どもを叩いたものだ
そして この同じほそ腕が生きる苦難と闘い 今では子どもを守ってくれる
そう この手こそが 織りに生命を与える 銭もうけしようなどとは
いささかも思わず 苦労をものともせず織り続け 新しい絹布を
産み出すために精を出す
娘には家事を教え 肩を並べて織りを教える 織りを永遠に伝えるために
母の手から力が抜けて 動かなくなってしまう前に
そして息子には誇りをもたせる 母を愛するならしっかり働けと
絹布にこもった繊細な愛情の糸で 母のように懸命に働き続けよと
教える
やがて母の亡き後にも まことの子なら 織り続けていける
母から子へ 脈々と機(ハタ)を踏むことができる
新しい生命ある布はまたきっと美しいに違いない
- 2008/02/24(日) 23:40:39|
- 思考。|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0
雨が降る時もあれば、まったく降らない時もある。
天気の良い時もあれば、まったく日差しがない日もある。
ただただ見守ってる間に名前も知らない綺麗な花が咲いた。
別に花が咲くのを待っていた理由でもなく、見守っていたら花
が咲いたので良かったねぇ。ただそれだけなのですが、それが
すばらしい事なのだと思います。
もし待っていたら、、、きっと肥料を必要以上に与えたり、水を
与え過ぎたり、日照を気にし過ぎたりと、いじくり過ぎて咲かな
かったかもしれません。
自然と向き合い、自然を敬い、自然に成長する、そんな僕らを目指して
います。
何かしら縁があって、tomoの服に関わって下さる方々には、末永く
お付き合いお願い致します。
仮に花が咲く事があれば、お互いに喜びを分かち合いましょう。
- 2008/02/23(土) 23:56:12|
- 思考。|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0
突然何てタイトルを書くのだろうと思われるかもしれませんが、
日本ではその言葉の重みや、照れなどから普通に使われる言葉では
ないと思いますが、タイでは普段から使われる言葉であります。
もちろんどの国にもその意味を持つ言葉はあると思うのですが、
その国によって使われる頻度は違うと思います。
タイにおいては普段の日常言葉として使われます。
恋人、夫婦、友達、親子、色々な関係の中で普段から使われる言葉
です。普段の生活の中で仮に自分のバリアーと言いますか、
そういった険悪な感覚が和らぐのもそういった言葉が自分に向けられ
た時ではないでしょうか。日本では口にするのが恥ずかしい言葉でも、
国が違えば当たり前に少しも恥ずかしがる必要もなく言える言葉
の一つが「愛してる。」なのだと思います。
もちろん日本でそんな言葉をあちこちで使っていてははっきり言って
変質者扱いだと思いますが、そのストレートな言葉の持つ素直で
防備な力といいますか、言葉の重み、それを素直に向けられてしまうと、
その言葉の前ではどんなにバリアーを張っても仕方がない気になって
しまいます。その理由としては、誰だって愛されたいという欲求を
自然に持っているからではないでしょうか。
日本での言葉に出さなくても、お互いに通じる美学は尊敬しますが、
それ故、たまには言葉として、愛情表現として向けて欲しいもんですよね。
どうゆう関係に対してもだと思いますが、素直な感情を素直に表現
出来れば、解決できる問題も沢山あるのではないでしょうか。
でも、その素直さを表現する事が、何よりもとっても難しいんですよね、、。
そうなんですよぉ、、、。あぁ、難しい。
- 2008/02/17(日) 23:16:33|
- 思考。|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0
このテーマは僕にとってとっても大きなテーマであり、とっても
伝えたい事の一つであります。
もちろん主観的な見解もあると思うので、正しいかどうかは、読んで
くださる方が判断するべき事だと思います。
日本からタイに来て6年目ですので、いつも僕なりに両国を冷静に
見ているつもりです。その中でも気になるのが、文化や習慣なども
あるのですが、やっぱり生活レベルが全然違う事でしょうか。
もちろんお金持ちは良い暮らしをしていますが、トータルで比較する
とその差ははっきりしています。タイに限らず、東南アジアの日本に
対する視線は同じだと思います。どこの国も先進国、日本を手本にし
アジアの優等生である日本を憧れの眼差しで見ている気がします。
特にテクノロジーに関しては、尊敬の念を持ってますし、電化製品や
車などのブランドは日本製が人気ですので、それを作っている国に
対しては尊敬していると思います。事実、チェンマイでは綺麗な
新しい車が走っていて、日本から来るみなさんは結構驚かれます。
事実新車の値段も日本の1.5倍位だと思うのですが、タイの平均給料
が26000円位ですのでどうやって買うのか不思議に思うかもしれませんが、
実家から通う人は、家賃や食事代を払わず給料を車のローンに全額
充てる人も居る位、車は魅力的な必需品の筆頭です。
ですのでそんな憧れの的を作れる日本はすごい国だという訳です。
確かにどんな車に乗っているかで生活レベルを測られている気もします。
日々の生活費を切り詰めて車のローンに収入を充てる、その裏には
やはり他人の目もあるのでしょう。
僕は日本に住んでいる時はそんな事は一切気にならなかったのですが、
確かにタイではそういった価値観を持っている気がします。
その土地で作られている物には価値を見出せない反面、外から入って
くる物に興味を持つ。
当たり前といえばそうですが良い物であれば、その土地で当たり前に
作られた物でも、価値を再発見してほしいですし、良い物は次の世代に
も受け継いでほしいものです。
タイも日本も普段から手織りの天然素材の生地のすばらしさを再発見
して頂き、普段の生活に取り入れて下されば、何よりの幸せです。
日本もタイもその昔は、機織の上手な女性が自慢の対象でした。
それだけ織物の出来は重要視され、誰よりも出来の良い布をまといたい
という事実が男女を問わずそこにはありました。
テクノロジーも良いですが、もう一度昔ながらのプリミティヴな価値観
に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
- 2008/02/17(日) 23:10:53|
- 天然素材の服|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0
大学生の時に買ったステンレスのはさみは、今でも立体裁断の時に
使っていますが、製品を作るために布を裁断する場合は庄三郎のはさみ
を使っています。
天然素材の生地は意外と強く、丈夫ですのでタイで売ってる様な
普通のはさみですと、すぐに切れなくなります。
値段も安くはないですが、切れ味が全然違いますし長く使えるので、
何本かをみんなで手入れをしながら使っています。
はさみも長く使っているとだんだんと特徴が出てきます。
厚い生地を裁断していると、だんだんそれが得意なはさみになり、
逆に薄い生地が切れなくなります。職人が道具にこだわる理由も
こうゆうところから来てるんでしょうね。
まったく同じはさみで、同じ布素材を切るのに、その切る対象となる
生地の厚みではさみに特徴が出るとは思いつきませんでした。
出来ることなら、生地の厚みで使うはさみを使い分けたいものです。
もちろん道具は所詮道具ですが、自分達の仕事を手伝ってくれる
パートナーですので大切にしたいものです。
それにしてもどうしてはさみを一本、二本と数えるんでしょうね。
この数え方は、棒状の長い形のものに使われると思うのですが、
決してはさみの形は当てはまりません。もしくは切る道具として
刀の延長として考えられているからでしょうか。
次のページ